イェフレーモフ (Yefremov)
イェフレーモフはロシア・ツァーリ国の南部国境を防衛するための要塞の街であった. 成立は1637年で、「逆茂木線」(Zasechnaya cherta, Great Abatis Border, Засечная черта)の再建と同時に建設された. 地名はイェフレムという人物(おそらく要塞の初代の司令官)の名に由来するとみられる. しかし17世紀末には国境は南へ拡大し、イェフレーモフ要塞の重要性は薄れ始めた.
1777年にイェフレーモフは市となり、郡の中心地となった. 周囲の農産物の集散で栄えたが、1869年にモスクワ=トゥーラ=オリョール=クルスク=キエフ間の鉄道が通ると、本線から外れたイェフレーモフは一旦衰退する. 1874年にウズロヴァヤからの鉄道が開業すると工業の発展の機会を得たが、もともと後背部の農村部の生産が豊かでなく、こうした農村部にも独自の鉄道が通るようになるとまたイェフレーモフの経済は低迷した.
ソ連時代の重工業化により、1930年代以降、イェフレーモフには化学工業が立地し、工業都市へと変化していった. 第二次世界大戦(独ソ戦)では、1941年11月23日にモスクワ攻略の途上のドイツ国防軍が占領したが、1941年12月13日にエレツの奪還を目指す赤軍南西戦線により解放された.